わが家の防災ストーリー|受け継いだ記憶を、これからの備えへ

こんにちは!遥です。

今回は、私たちが「防災」に真剣に向き合うようになった原点についてお話ししたいと思います。ここに至るまでには、いくつかの大切な記憶と気づきがありました。

父から聞いた伊勢湾台風と水の中での暮らし

私たち夫婦は、1959年に甚大な被害をもたらした「伊勢湾台風」の被災地で生まれ育ちました。子どものころから、親や周りの大人たちから当時の恐ろしさを何度も聞いて育ちました。

特に印象深いのは、当時19歳だった私の父の話です。

「家の中に潮の満ち引きがあってね」
「1階は水没しちゃって、舟で出入りしてたんだよ」

父は長男として幼い妹たちを安全な場所へ疎開させ、祖父母とともに浸水した家に残りました。家から水が完全に引くまでには、なんと3か月もかかったそうです。今の私たちには想像もつかない世界ですが、当時のたくましさには驚かされます。

しかし、父が特に「大変だった」と語っていたのは、「情報が全く入ってこなかったこと」でした。

スマホもない時代、「自分たちの地域は見捨てられたのでは」というデマが飛び交い、不安と恐怖が膨らんだそうです。

「備えすぎるくらいでちょうどいい」

そんな経験をした父は、台風が近づくと、まだ雨風が強くないうちから準備を始めるのが当たり前でした。周囲から「やりすぎじゃないか」と言われることもありましたが、父は「備えすぎるくらいでちょうどいい」と笑っていました。

ある日、台風予報が出たとき、夫の浩平が早々に家のまわりを片付けはじめました。その姿を見て、子どものころの父の姿がふっとよみがえり、「ああ、考え方が似ているんだな」と少し安心したのを覚えています。

能登半島地震と海抜ゼロメートル地帯の現実

2024年元日の能登半島地震。ニュースの映像を見て、「もし今、自分たちの地域で同じことが起きたら?」と不安がこみあげました。災害は本当に突然やってきます。

その後も各地で地震は続き、このブログの準備を進めていた2026年7月には、熊本県熊本地方で最大震度7を観測する令和8年熊本地震が発生しました。

こうした出来事に触れるたびに、「いつか」ではなく、今できる備えを少しずつ進めておくことの大切さを改めて感じています。

私たちが暮らす地域は、海抜ゼロメートル地帯です。南海トラフ地震が起きれば、津波や液状化といった深刻な被害が予想されます。

「液状化で家が傾いたら、在宅避難はできないかも…」そんな不安もあります。でも、台風による高潮や水害のリスクもあるからこそ、「どうせ無駄だ」と諦めず、今できる備えを重ねていきたいのです。

高齢の両親と暮らして気づいた新しい目線

数年前から介護が必要になった両親と同居を始めたことで、防災への考え方が大きく変わりました。

車椅子や歩行器の両親と一緒に、避難所まで安全に移動できるのか?

避難所での感染症やトイレ問題は大丈夫か?

ライフラインが止まった中で、在宅避難は可能なのか?

こうした現実的な課題に直面し、私たちは「まず知ることから始めよう」と考えるようになりました。

わが家でも、ハザードマップポータルサイトで自宅の位置を指定し、洪水・津波・高潮の浸水想定を確認しました。

確認した画面と表示の読み方は、地域の災害リスクとハザードマップ活用の記事にまとめています。

夫は防災士、私は防災備蓄収納2級プランナーを取得。家族に合った備えを、できることから一歩ずつ進めています。

いざという時にその防災グッズを使えますか?

備えを進める中で、大きな気づきがありました。

それは、せっかく用意した防災グッズでも、「いざ」という時に私一人では使いこなせないものがあったことです。

正直なところ、機器の扱いは浩平に任せっきりでした。たとえばポータブル電源は、スイッチや設定に迷うことがありました。

これでは、もしもの時に私一人では対応できないかもしれません。

備えは「用意して終わり」ではなく、家族みんなが迷わず使えるように、普段から触れて慣れておくことが大切だと感じています。

さいごに

液状化などのリスクがある地域で、高齢の両親とともにどう備えていくか。

このブログでは、わが家で実際に取り組んでいることを中心に、普段から使っている防災用品はもちろん、気になっている商品や、日用品を防災に生かすアイデアなども取り上げながら、「もしも」に備えるためのヒントをひとつひとつ丁寧にお届けしていきます。